現役時代の勤務場所が神保町の近くだったため、大量に新刊本を買うのが習性になっていた。毎月かなりの出費だったが、いわゆる「男の道楽」なんかとくらべると「本」への支出は、いくら大量に買ったとしても、稀覯本でもない限り大したものではない。それに「これは投資である」と自分に言い聞かせてきた。ところがとんでもない。いま見てみると、投資どころか、まるで「恥のかたまり」なのだ。
特に、時事問題とか時流に乗って売られた書物は、完全にゴミ。なんとか賞の受賞とかいう文芸作品もほとんどがゴミ。エッセイ集なんかは特にひどい。製紙パルプにしかならない。よくもまあ、こんなに下らない物にお金を使ってきたかと、われながら恥ずかしくなった。
結局残るものはこういう感じ:
- 辞書とかのリファレンス関係(かならず役に立つ)。情報量の多い単行本もこの範疇にはいる。
- 全集もの(全集が出せる著者の本は読んで損はしない)。
- 古典(長年の淘汰に生き残ったものだからいい内容だ)。
- 翻訳物(翻訳作業とは古典になる確率が高い本を選んでするから当たり前)。
- 岩波文庫や新潮文庫などの文庫もの(安っぽい文庫はダメだが、しっかりしたところが文庫にする本は概ねいい内容)。
内容が気に入らない本(西尾幹二とか)も資料として置いておいたのだが、これも迷わず棄てる。オヤジはこんな本を読んでいたのだと子供に思われては、とても恥ずかしいのだ。
書棚が徐々にすっきりしてゆくのは良い気持ち。それにしても、これだけくだらない本を売らないと食っていけない日本の出版業界は、くだらない投資信託を売らないと食っていけない日本の証券会社と似ていて、ホントにどうしようもない。本を書いてメシを食う人間が多すぎるのが問題だと思う。投資信託と同じ。
5 件のコメント:
余丁町散人さん
私も同じような考えで整理していますが、散人さんはまだまだ全然早い。西尾幹二はいらないけれど、もっと遊んでもいいと思う。よくぞこんな下らないものを、というようなことにもへっちゃらで、これ、おれが好きなんだからと遊んだのが、われらが愛する荷風散人さん。あの人は整理とか、恥とかそんな考え方に無縁だったのではないかと。
アクさん、こんにちは。そうですね、清濁併せ呑む余裕が必要なのかも知れません。でも5年経ったらまるで役に立たない本ってのが多すぎますね。時流に乗った「テーマもの」や「際物本」買うのは禁物。あんなのは立ち読みで十分だった。反省してます。
バルザックは骨董を集めるのが趣味で山ほど買いまくったのですが、死後鑑定して貰うと、悲惨と言っていいほどガラクタばかりだったらしいです。まあ、これも人間喜劇。
図書館しか利用しないというのもあるけど、本はほとんどない。ただ、読んだものは、リストにしてある。最近はしていないけど、抜粋したり。ただ、自分の考えを付け足してはいない。リストさえあれば、また、図書館でも、買うこともできる。だいたい、忘れてしまうものは、くだらない知識だし、どんなにしても忘れないことだけを大切にすればいいわけで。
今楽しく少しずつ読んでいるのは、「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」若泉さんの考えには興味がないけど、当時の事実がたくさん書いてあるのが面白い。ま、読み終わったら、忘れてしまうだろうけど。
卑しい話だけど、リストには本の値段もつけてある。集計しようと思えば、あはは。とにかく、本を読むたびに、バカになっているような気がするばかり。
あと、ヨーロッパは、本を買ったら装丁しなおす歴史があります。その装丁に美術品として価値があるかないかで、本来、知識には金銭的価値はありません。
日本の出版社は新刊当初しか売れない本ばかり出していますね。だからちょっと経つと途端に古本屋でも値がつかなくなる。でも再販制度で価格が規制されているので裁断するしかなくなります。何が出版文化なものか。
彼らがブックオフを目の仇にするのも価値を正当に評価されるのがいやなのでしょう。でもブックオフはまだ高い値を付けている方で、櫻井よしこの本なぞアマゾンのマーケットプレイスで軒並み1円です。
ブックオフの経営が心配になりますが、散人さんの「くだらない本」もブックオフに持って行けば一冊20円くらいで買ってくれるかもしれませんよ。
さいわい櫻井よしこの本は一冊も買ってないです。でも渡辺昇一のはどっかに残っている(と思う)。探してあれも棄てないといけませんね。
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