2008年7月31日木曜日

「日本は『鬱の時代』を迎えた」(五木寛之)

昨日の日経夕刊で五木寛之が言っている言葉。「枯れるのにはいい面もある」と言うがそれは五木寛之が年寄りだから。これがホントだと、これから生まれてくるこどもたちにとってはとても不健康な時代になると思う。

抜粋:
  1. 身の回りを見ればすべて鬱の様相を呈している。ロハスやスローライフは鬱の生活様式。エネルギーを消費せず限られた資源でやりくりしようというエコロジーも鬱の思想。予防を第一とするメタボも鬱の医学だし、敵が見えないテロとの戦いは鬱の戦争といえる。
  2. 躁の時代が五十年続いたのだから、鬱も五十年は続くと見るのが自然だろう。
  3. 私自身、老いとともに実感しているが、衰えることや枯れることにはいい面もある。
  4. 登山は上るだけでなく下ることで完結する。加速が文化であるのと同じく減速もカルチャーだ。

まあ、年寄りにはそれでいいんだろうが、若い人がそんなのでは可哀想だと思う。あまりに夢がない。

それに、世界中がそうならまだしも、日本の近隣諸国はまさに伸び盛りで「躁」の真っ直中にある。ニッポンは「スローフード」などと寝ぼけたことを言ってEUの落ちこぼれとバカにされているイタリアみたいな国になるのかな。イタリアはまだEUメンバーなので他のEU諸国に「おねだり」が出来るが、ニッポンは中国や韓国におねだりは出来ない。おまけにイタリアみたいに社会・文化資本の蓄積もじゅうぶんできないまま老化してしまった。

でもそれほど悲観はしていない。アメリカの60年代のヒッピー世代も今の日本の若者と同じように金儲け主義に背を向けて「スローライフ」とやらに閉じこもり社会に大きな悪影響を残したが、すぐに時代遅れの存在としてより若い世代からバカにされるようになった。日本の社会的「鬱」現象も、公共放送なんかによるノーソン利権絡みの宣伝・洗脳に惑わされた一時的なものじゃないのか。それほどニッポン人はバカにはなっていないと思う。

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

日本は、内田樹のいう「フェミニンな共産主義社会」に向けってまっしぐらに進んでいるのかな〜(『こんな日本でよかったね』)。周りからバカにされて、とてもカッコワルイと「愛国者」は思う。内田先生や五木寛之はそれでも良いじゃないかと言うんだけれど、それはニッポンを「突き放して」見ているからだろうね。見習わなくっちゃ。

匿名 さんのコメント...

とくに日本のブログは鎖国しているんじゃないかという状況で、つまらない。

外国人とつきあっている方が楽しいな。半年、放置していたら、しっかりコンタクトとってきて、私がいた方がみなが喜ぶとか言われて、ちょっと参加を再開したら、佳作として過去の作品が大勢に紹介されてしまって、コメント欄は、ブラボーと、悪口が極端に割れて炎上していたり。あと、これがきっかけで、フランス語がベラベラな若い日本人の女の子で才能がすごく感じられる人が私の作品の読者になったようで。で、日本語しかつかっていないのに、なんでかつながりが広がりそうで、怖いところが面白い。ま、私しかいないのと、外国人がいかに個人の能力を重視しているというか、なんだろね。よっぽど、日本のネットの中には入り込めないというか、日本人が妙な対人対応するためか、日本に興味があるのに、入ってこないよね、外国人たちは。

ということで、若い人たちは、海外留学しなくても、外国の文化を自分で発掘できるのだから、日本の部落ブログとか三条大橋下BBSなんかやめて、それと、日本語で書かれた本なんかいくら読んでもバカになるだけ、意味がすぐわからなくても他国の文化に接して、どうしても理解を深めたいとき日本の本を読めばいいし、インターネットの本来の使い方をして欲しいな。

Unknown さんのコメント...

野猫さん、よかったですね。新しいURLを教えてください。

クマシデの枝を払っていてハシゴを踏み外した。ハシゴはやっぱり三本足でないとダメですね。