夕方見ていたNHKの番組「Cool Japan」。「ニッポンはカッコイイのだぞ〜!」となんでもニッポンの風習を正当化してしまうのが番組の趣旨。ゲストの「傭われ外人」から手放しの「ニッポン賞賛発言」を引き出して自己満足し、少しでも「ちょっとおかしいのでは〜」という趣旨の発言が出ると司会のオヤジが高圧的に封じてしまうのがいつものやり方。今日は日本の台所は狭いくせにやたらに物で溢れすぎているのではないかと言うことについて。ちょっと考えさせられた。
日本家庭の台所は狭いくせにやたらに食器が多すぎるのではないか、とても雑然としているという「外人」のコメントがあった。食器にしても包丁にしても、数と種類が多すぎてとても収納できない状況になっているというのだ。やや同感。司会のオヤジはこれこそがニッポンの伝統であり現代日本の豊かさを象徴するのだと強引にねじ伏せていたが、そうでもないだろう。むしろこういう風潮こそが日本の貧しさの原因になっている象徴的な現象だと捉えるべきではないか。
中国の家庭では包丁は一本、鍋は中華鍋だけ。ドイツの家庭でも包丁は通常一本で済ましお皿の種類の一種類。それなのになんで日本の主婦はあれほど多くのお皿と包丁を買い集め狭い台所に収納しようとするのかと「外人」は疑問を呈する。それがニッポン文化だとする司会の強弁には昔の日本を知っている身としては同意できない。普通の日本家屋としてはとても贅沢な家屋である新宿の林芙美子記念館を見ればよい。彼女が凝りに凝ったという台所はとても質素だ。現代日本の台所の方が異常なのだ。
戦後、マカロニグラタンというものが日本に持ち込まれ、家庭の主婦はこぞって「グラタン皿」という一人前のグラタンを供する舟形のお皿を家族の数だけ買ったことがあった。アホだ(あんなものは日本以外では見たことがない)。それをいまだに引きずっていて外国料理にはそれなりの食器が必要だと思いこんでいるのだ。また日本の中でもきわめて特殊な料亭料理の真似を家庭でしようとしていることもある。台所が食器であふれるわけだ。ハウスメーカーはこぞって台所の収納に工夫をしてやたらになんでも収納できるようにするが、マッチポンプで追いつかない。
包丁の数にこだわるというのは、ニッポンの悪しき職人文化だ。彼らの趣味と見栄の拘りこそが流通コストを引き上げ消費者に迷惑を掛けると言うことは安土敏が20年前に喝破した事実。その職人の真似を家庭の主婦がしている。これでは救われない。
現代ニッポンの「おいしいもの」への拘りは、遡れば江戸時代の食い物オブセッションにつながる。紀田純一郎によれば、江戸時代の金持ちは、いくらお金を儲けても身分制度のおかげで己の地位の向上の機会が断たれていたため、やむなく大金をばらまく「刹那的」な消費(初物食い)などに逃避したという。現代日本でもこのような「逃避的」な消費性向が見られると云うことは、悲しいことである。
このどうでもいいことへの異常な「拘り」は、10万円のマンゴーやメロンに有り難がることに繋がり、ついでにクマしか通らない道路や釣り堀としか使っていない漁港の岸壁の建設などに貴重な資源を浪費してしまうことに繋がった。おかげでニッポンはすっかり貧しくなってしまったのである。
このような「ちょっとおかしい」ことは、外部(第三者)からでないと見えない。「ちょっとおかしいのでは……」という外人発言をNHKが高飛車に押さえつけているようでは、ニッポンの発展はないように思う。
5 件のコメント:
「グラタン皿」に反応してしまいました。確かに、英国もオーストラリアも、その手の料理(pasta bakeというのがグラタンに近いでしょうか・・・)は、大きな深皿にまとめて作り、それを各人の皿にとりわけますね。一般家庭では。
個人的には、いろんな食器があるのは楽しいですし、それらを頻繁に活用しておいしいものを食べるのは良いことだとは思いますが、大皿一枚にMeat & two veggies をもりつけるほうが、調理をして後片付けもする人間には負担が軽いです・・・。
NHKのサイトを見ましたが、毎回あのような主題をどう掘り下げて45分間持たせるのでしょうか?
これに限らずNHKは毎回同じことばっかりで飽きます。自民党総裁選挙の下らない政見放送を朝からずっとやっているし……。
食器にこだわるのは温泉旅館の真似か。朴葉焼き用のミニ七輪を人数分そろえてみたり……。北王子魯山人あたりがこの悪習を広めたのかな。魯山人とオサム・ノグチと一緒に暮らしていた李香蘭はたいへんだったらしい。変な作られた「ニッポン趣味」は働く奥さんにはとっても迷惑。
「北大路魯山人」が正しい。変換ミス。
ブラックバスに関する散人さんの持論は同調できませんが、日本の貧しさにつながっているという精神性についての見方には激しく同調します。
匿名さん、どうも。ブラックバスについてもいいこと言っていると思うのだがな〜。
「イサム・ノグチ」を「オサム」と書き間違ってた。歳とるとすべて朦朧とした霧の中。李香蘭も「山口淑子」といった方が分かりやすいか。
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