2008年8月6日水曜日

「金持ちが贅沢をやめることこそ貧乏退治の第一策」(河上肇)

散人は教養主義とは無縁だったからこの歳になるまで河上肇の『貧乏物語』を読んだことがなかった。しかし、ニッポンがどんどん貧乏になっている今、処方箋を求めてこの本を読んでみたら、驚き、内容が実に新鮮。アダム・スミス並みの博学と説得力のある文章にも感動した。この本を書いた頃の河上肇はまだマルクス主義者ではなかったと思う。むしろイギリスのロイド・ジョージに心酔していた。豊かな先進資本主義諸国における「貧乏線(Poverty line)」以下の民衆の数の比率を統計的に調べ上げ、経済の発展は贅沢品の生産に繋がっただけで貧困の解消には繋がっていないと喝破。これは全く正しい。その上で河上肇の書いた対策が掲題のもの。解説を書いている大内兵衛は「この段階での河上肇はまだ判ってなかった」と貶しているが、判っていなかったのは大内の方。あいつらマルクス経済学者の処方箋通りにやった国(ニッポンも含め)がその後どうなったかを見れば河上肇の方が正しかったことが判る。

貧乏物語 (1965年) (岩波文庫)貧乏物語 (1965年) (岩波文庫)
河上 肇

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河上肇は、つまり、経済の生産力が増えているのに都市貧乏人に生活必需品が行き渡らないのは、贅沢品を作った方が儲かるからその方向に生産プラットフォームがシフトしているからだという。金を持っている消費者の行動を改めねばならないし、その方が儲かるからと政府の指導のもとに農家が生産調整して米価をつり上げるというのもおかしいという。まさに現代ニッポンで今農水省とコメ農家がやっていることに他ならない。これが日本社会をさらに貧困化させているのである。

一個数万円もするメロンやマンゴーや高級魚を嬉々として食べる消費者も、自分がカッコワルイ上にニッポンの貧困層の困窮を加速していることを自覚しなければいけないね。また儲かるからといって大衆の虚栄心を煽り異常に高いブランド産品を資源を浪費して作り、安い方がいいという消費者に安い輸入品を買わさないように高関税を設定する農村団体は、恥じるべきである。

現代日本では貧困の問題はなくなったと考えられているが、間違いだろう。「貧乏線」をどこに置くかだけの問題だからだ。交易条件が悪化する中での不況の進行は、今後日本の都市貧困層がますます増加することを意味している。河上肇が提起した問題は依然として新しい問題なのである。

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