東京に帰ってきたら、庭のハナモモが咲いていた。春になったのだ。
溜まっていた新聞を読むと、全国公示地価の下落が甚だしいという。特に首都圏(東京)の地価の下落が激しいとのこと。さもありなん。土地の値段とは「収益還元法」で評価するべきものだから、その土地に住むことでいくら稼げるかが地価の基準となる。東京住民は稼ぐという意味では頑張っていると思うが、その稼ぎのほとんどがイナカに配分されてしまう政治システムのなかで生きている。これじゃイナカ住民のために都市住民は働いているようなもんで、みんながアホらしくなり稼ぐのを止めてしまう。都心部の地価の下落は、むべなるかなである。
現代ニッポンの生活において、一番「分配」上得をするイナカに移住しようかと思って、イナカの不動産価格を調べてみたことがある。おどろき桃の木山椒の木。バブルが終わったと言うのに、ニッポン経済になんの貢献もしていないイナカの地価はべらぼうに高いままなのである。これじゃ東京都心の地価と較べてもいい勝負。アホらしくなってしまった。
イナカは、都会住人が稼いでいるかぎり、その稼ぎの分配を何もしないでも享受できる。それがニッポンシステム。一方都会の住民はいくら働いでもその稼ぎは自分には還元されない。都会の勤労者はアホらしくて働く気にもならない。都心の地価が下がるわけである。
今晩NHKテレビを見ていたら、アメリカの黒人社会の若者のトンでもないハングリー精神が紹介されていて、ショックを受けた。ニッポンの国技大相撲も外国人力士の独壇場となるわけだ。欧米諸国の「一人あたりGDP」とはこういうハングリーなマイノリティー人口(ニッポンのイナカの自称インテリ連中が「ク××ボ」と呼び見下している人たち)を入れての計算なのである。
その「一人あたりGDP」ですら、ニッポンは欧米の一人あたりGDPのはるか後塵に拝するにまでに落ちぶれてしまっている。日本の経済力は無敵であると勝手に信じ込んだイナカ住民の「ニッポンの無尽の富をおいらへの分配を」と要求する政治的横槍(暴力)が、こういう事態を招いたのだ。
ニッポンでは、「クレクレ主義」とおねだり「平等要求」が、稼ぎ手を疲弊させ、全体経済への過大な負担になっている。愚かしくも悲しいことである。
0 件のコメント:
コメントを投稿